こんにちは!かのっぴです!

あっという間に1月も終わり、もうすぐバレンタインですね!

かのっぴは生まれ変わったら、男になってチョコレート沢山もらいたい人生です😭(笑)

 

 

そんなことはさておき、今回のブログはリングローの碇社長が一体どんな人なのか、リングローの誕生についてインタビューしながら、新入社員であるかのっぴからみた社長をお伝え出来たらなと思います!

 

それでは、早速インタビュースタートです!

 

 

―社長はもともと漁師だったというお話を聞いたのですが。

漁師っていうわけではないんだよね。実家が漁師でその手伝いをしていて、使用人みたいな感覚だよ(笑)だから、当たり前のように水産高校に通っていて、高校3年生の時には東京の水産系の会社に内定をもらっていたんだよね。

 

―では、東京に来たきっかけはその会社に勤めるときですか?

いや、高校卒業間近の2月ごろに家出で上京してきたんだ。だから内定もらっていた会社も辞退して、3万円と1週間分の着替えとギターだけ持って東京出てきたんだよね(笑)

にっこり
―えっ!内定をもらっていたのに、なにがあったんですか…?

父親に東京に行くなと反対されて。それで反発して家出したんだ(笑)というのも長男に生まれたこともあって、漁師を継がなきゃいけない決めつけや、縛りみたいなものをずっと感じていたからなんだよね。

それが窮屈だったのもあるけど、地元の北海道だけじゃなく色々な世界を知りたいと思っていたんだ。それに高校生の時はミュージシャンになりたくて海外に行こうと思っていたんだよね。でも、海外の行き方も知らなくてとりあえず成田空港かなって思って東京の企業に内定もらっていたんだけど、親には東京に行く必要ないだろって反対されて。でも自分の中ではもう東京行くって決まっていたし、反抗期だったのかな(笑)それで飛び出してきたんだよね(笑)

社長

―私にはそんな勇気ないです…

東京に出てきてからはどうしていたんですか?

東京にいざ出てきたのは良いけど行く当てもなく、とりあえず高校の先輩の家に転がりこんで。でも1週間もすれば出てけって言われて。当たり前だけどね(笑)

それで先輩の紹介で築地の寮付きの会社で働き始めたんだ。そこで奥さんにも出会って、3つくらい仕事を掛け持ちしながら、毎日18時間くらい働く生活をしていた時に親父が倒れて実家に帰らなきゃいけなくなったんだ。

 

―地元に帰るタイミングがあったんですね!

どれくらいで東京にまた戻って来たんですか?

親父の体調も回復して、10か月くらいで東京に戻ったんだよね。でも帰った時、実家の家族は北海道に戻ってきたと思ってたみたいで、家族全員呆れていたよ(笑)

それでまた東京に戻ってからは運送会社で働きながらジャズギター教室に通う生活を、56年くらい続けて、その後違う会社に勤めてそこの人に、パソコンを覚えた方が今後の音楽活動に活かせることを教えてもらってパソコンを触るようになったんだ。

まだ当時はインターネットなんてほとんどなかったけど、今後ホームページやインターネットを通じて音楽が世界に届けられる時代が来ることを確信していたから、パソコンを勉強して損はないし知識として覚えたいと思ったんだよね。

社長2
―さすがセンサーが敏感ですね。そこがパソコンとの出会いのきっかけなんですね。

そうそう、それで半導体の会社に勤め始めて、その後に中古パソコンを扱う会社で働いて。

その時に新品だと30万円くらいの値段のパソコンが中古だと10分の1くらいの価格で買えることを知ったんだよ。中身は同じ性能なのに金額が全然違う、こんな良いことをみんなが知らないのは損だと思ったし、もっと多くの人に知られるべきだと思ったんだよね。それで、自分で千円くらいで中古パソコンを仕入れて1万円で売るみたいなことをやり始めて。

 

―今のリングローの大本はここなんですね…!

そうだね。それから働き始めて少し経ったころにアルバイトから社員になるか、それとも業務委託にするかと言われて、業務委託にすることを決めたんだけど、これがまた条件が厳しくて(笑)

 

―何か条件とかがあったんですか?

15人アルバイトがいたんだけど、その15人分の仕事を80万円でやれって言われて(笑)

でも無理とか出来ないとか簡単に諦めたくなくて。これをクリアできたら生き残れる会社になれるし。時代や状況が良い時に会社がうまくいくのなんて当たり前だけど、そんな状況ではない時に勝ち残れる会社が世の中に必要とされる会社になると思っているからやろうと決めたんだ。それで、その時声を掛けたのがリングローの創業メンバーなんだよ。

 

―おお!ここで今のリングローが誕生するきっかけになるんですね!

でもそんなきつい条件大変そうですが。

みんなはできないと思うかもしれないけど、自分は絶対できると思っていたし、漁師の勘みたいなものもあって。当時を振り返っても寝る間も惜しんで仕事してたりと大変だったけど楽しかったという想いのほうが強いね。それは創業メンバーみんなそうなんじゃないかな。

 

―“楽しかった”という感覚になれるのがすごいです。

今思えばだけど、昔から楽しませることが好きだったし、せっかくなら楽しくなきゃと思うんだよね。周りに影響与えたいというのもあるけど、楽しむのが一番。今のリングローもどんどん仲間を増やして、巻き込んで、その結果お客様を喜ばせられたりするのがすごく楽しい。

社長3
―社員に向けて何かこうしてほしいとかあります?

有言不実行はとにかくダメ。失敗とか気にしないでとにかくやりたいことを言って、やってみること。「思ってました、やろうと思っていました。」なんていくらでも言えるし、行動しないと何も得られないから。

そもそも失敗なんて俺はないと思っているよ。だから、失敗って思ったことがない。全部つながっているし、できないということを知ったことになるし、そこから得られることは沢山あるからね。逆にまだ俺は何も成功だとも思っていないよ。リングローというこの会社もまだ第一章でもないかも(笑)

 

―最後に社員に向けて何かメッセージはありますか?

エンターテイナーになってほしい。ここでのエンターテイナーっていうのは自分が何かやったことで周りに価値を生み出してほしいということなんだけど。営業だからとか広報だからとか役職にとらわれず自分の経験をフルに使って自分を表現してほしい。そうすることでその人だけの価値が生まれるし仕事の幅も広がって良い影響が生まれると思うんだよね。これは仕事だけじゃなく趣味とかなんでも良いんだけど。

自分から巻き込んだり、相手にプラスのことを与えたりしたらそれ以上のものが得られるんだと思うんだよね。それは物だけではなく、ありがとうっていう言葉だったり、喜んでくれた表情だったり、新しい仕事や人との出会いに繋がったり与えることでしか得られないこともあるからその経験をみんなにしてほしい。期待以上のものが見込めないとか簡単に諦めないでとりあえず、やってみ!良いことあるから!()

 


まとめ

今回は社長の経歴からリングローがどのようにしてできたか、そして社長の考えを聞くことができました。

みんなが一見できないと思うような状況でも楽しみながら乗り越えて、(社長は乗り越えている感覚があるんでしょうか)できることを形に残し証明しているのはまさしく有言実行だなと思いました。そして社長自身も常に与える立場にいたい、エンターテイナーでありたいという想いやそれが楽しいという感覚が、まさしく今のリングローの事業の「R∞PC」の無期限保証や「おかえり集学校プロジェクト」にもつながっていることが分かりました。

また、インタビューに書ききれなかったのですがお話を聞いた時にすごく人との出会いを大切にしているなと感じました。社食のメニューにあるお魚は築地で働いている時の会社で仕入れを行っていたりと、今まで社長の経歴を拝見しても、一見つながっていないような経験が今のリングローにつながっていることが分かりました。

 

今回のお話を聞いてまだ入社間もないかのっぴは、まずはやりたいことを言ってみることからスタートしたいと思います!





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